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日本ワイン店 じゃん

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ワイナリーの紹介

奥野田葡萄酒醸造

山梨県

33年前の異端児、これからもInnovationを起こし続ける

日本ワインの楽しみ方

 山梨県甲州市旧奥野田地区(現住所は甲州市塩山)にある奥野田葡萄酒醸造。ブドウや桃の畑の中に、週末は大勢のファンが訪れる素敵なワイナリーがあります。ワイナリーのモチーフになっている蝶の絵が描かれたピンクの壁の建物がショップ&サロンになっています。入り口を抜けると、高い天井に、素敵な照明と、畑が見渡せる大きな窓があり、一瞬「ここはパリ?」と見間違うほど素敵な空間です。

大きな窓の外にはブドウ畑が広がる

 シンボルである蝶は戦国時代から「不滅、不死」の象徴として多くの武将に好まれた文様です。このワイナリーには、代表の中村さんが、武士さながらにイノベーションを起こし続けた軌跡が詰まっています。

代表の中村さんが、地域の農家の方がブドウを持ち込んで醸造を行う共同醸造所を引き継いでワイナリーを設立したのは若干26歳の時のこと。今でこそ立派でお洒落なワイナリーも、設立した33年前は壁も無い、屋根だけの醸造所でした。「お客さんに来ていただいてもトイレも貸せなくて、僕自身もコンビニかホームセンターのトイレを使う時期が10年ほどあったんです。」と語る中村さん。国産ワインの評判が良くなかった当時、東京のお客さんに「甲州土産のワインはマズイ!」と面と向かって言われたことがあるそうです。山梨県内のワイナリーに勤めていた中村さんは「世界に通用するワインを作るから待ってろ!」という気持ちでワイナリーを設立し、ブドウ栽培をスタートさせました。この塩山地区は昔から生食用ブドウの栽培が盛んで、生食用ブドウの育て方とは全く違う栽培方法でワイン用品種の栽培を始めた中村さんに、周りの農家は「クレイジーな奴だ」「そのうち潰れるよ」という反応だったそうです。
それでも「世界に通用するワインを作る」という中村さんの強い信念で、当時は珍しかった欧州系品種(カベルネソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネ)の栽培をスタートさせ、さまざまな革新をしていきます。例えば作付け面積。1ha当たりに植えるブドウを多くして、ブドウの根が地表近くで横へ横へ張るのではなく、地中の下へ下へと張るようにしています。すると地下深くからミネラルを多く含んだ地下水を吸い、地上の葉を冷やします。日照りで水分が飛ぶことで、ブドウの中にミネラルが残るので、凝縮感のある濃いブドウになるんだそうです。
夢中で走り続けること33年。「設立した当時、顧客名簿はWindows3.1で作ってたからね。クロネコヤマトも土日は配達してなかったよ。」と懐かしそうに目を細める中村さん。今ではワイナリーは立派になり、「奥野田ヴィンヤードクラブ」というブドウの樹のオーナー制度の会員は250名を超える大所帯となりました。33年前と比べると現在は多くのワイナリーがある甲州市塩山地区の中で、ブドウ栽培とワインづくりのレベルを底上げしてきた存在の中村さん。それでも中村さんはイノベーションを止めません。私が訪問した話を伺った時(2022年7月)も、まさにちょうど、日本で導入されるのが第一号となる新しい搾汁機(ブドウ果汁を絞る機械)が入ったばかりだと目を輝かせながら説明してくださいました。通常の搾汁機は、ブドウの粒を圧迫して果汁を絞るが、新たな搾汁機は果汁を「吸引」するそうです。搾汁時にブドウにかかる負荷を減らし、空気に殆ど触れることなく醸造タンクまで持って行くことが出来るこの新たな搾汁機の導入で、更にワインを進化させる意気込みです。「休んだことはないね、ずっといつも何かやってる」という言葉通り、中村さんのInnovationは終わりません。

代表の中村さん

 奥野田葡萄酒醸造でつくられるワインは年間約4万本です。仕込み終わった4万本のワイン達を顔の見えるお客さん達が買って行き、1年でセラーにあったワインがみるみる無くなって、皆の胃袋の中に入ると思うと、「手を抜くとバレるな、いいもの作らないと」という気持ちになると楽しそうに話す中村さん。戦国時代に己の生きざまで、ついてくる者たちを引っ張っていた武将のような、かっこいいオヤジです。そんな中村さんからはどうも想像出来ない、かわいらしく綺麗なラベルデザインは、奥さんが描いたものです。夫婦二人でInnovationを続けながら進化する奥野田葡萄酒醸造。香り豊かでキレイなワイン、是非ご賞味ください。

文/写真:加藤曜子

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